11~12日は京都観光に行って来た。
以前から行きたかった伏見稲荷は予想以上に良い場所だった。
千本鳥居がどこまで続くのかと巡っている内に山頂まで辿り着いてしまったのは嬉しい誤算だ。
参道の山中は冷たかったが、神域というのは非常に落ち着く。
死ぬならこういう静かな場所で人知れずひっそりと死んで逝きたいものである。
もちろん観光地などでは間違っても死ぬつもりはないのだが。
さて、忙殺されているせいか精神状態がよろしくないので急遽かかりつけの病院へ電話予約し、受診する事にした。
徐々に効力が強い薬に切り替えていっているのだが、症状が改善されているという感覚は得られないと話すと、服用している薬を変更して様子を見てみようと言われた。
ただ副作用は今のモノより出やすくなるそうなので、もしそれらの症状が出た場合はすぐに連絡して欲しいとの事。
果たして今回はどうなるだろうか。
最近何かの記事に書いてあった事で、なるほどと思ったものがあった。
『人生に幸福を感じる為には、常に「死」を意識して生きる事が大切』
常に自分が死ぬという事を頭に置いておく事で、生きている実感と何事かを成した達成感がより深く味わえるらしい。
これは面白い考え方だと思う。
死は避けられがちで嫌われ者だ。
避けて通れないにしろ、人は死を恐れて嫌う。
ならばそれを頭の片隅にでも置き続ける事で、ただ生きている事が幸せと感じられるのではないか、ということだろう。
しかし実践するには難しそうだ。
何をしても虚無感しか得られない今の私には非常に難しい事である。
以前から行きたかった伏見稲荷は予想以上に良い場所だった。
千本鳥居がどこまで続くのかと巡っている内に山頂まで辿り着いてしまったのは嬉しい誤算だ。
参道の山中は冷たかったが、神域というのは非常に落ち着く。
死ぬならこういう静かな場所で人知れずひっそりと死んで逝きたいものである。
もちろん観光地などでは間違っても死ぬつもりはないのだが。
さて、忙殺されているせいか精神状態がよろしくないので急遽かかりつけの病院へ電話予約し、受診する事にした。
徐々に効力が強い薬に切り替えていっているのだが、症状が改善されているという感覚は得られないと話すと、服用している薬を変更して様子を見てみようと言われた。
ただ副作用は今のモノより出やすくなるそうなので、もしそれらの症状が出た場合はすぐに連絡して欲しいとの事。
果たして今回はどうなるだろうか。
最近何かの記事に書いてあった事で、なるほどと思ったものがあった。
『人生に幸福を感じる為には、常に「死」を意識して生きる事が大切』
常に自分が死ぬという事を頭に置いておく事で、生きている実感と何事かを成した達成感がより深く味わえるらしい。
これは面白い考え方だと思う。
死は避けられがちで嫌われ者だ。
避けて通れないにしろ、人は死を恐れて嫌う。
ならばそれを頭の片隅にでも置き続ける事で、ただ生きている事が幸せと感じられるのではないか、ということだろう。
しかし実践するには難しそうだ。
何をしても虚無感しか得られない今の私には非常に難しい事である。
コメント